2012年3月27日火曜日

マル激トーク・オン・ディマンド 第569回 本多雅人氏(蓮光寺住職)のトーク 文字起こし (ごく一部)

私は仏教徒ではないのだが、2012年03月10日のマル激トークオンディマンド 第569回のゲスト本多雅人氏(真宗大谷派蓮光寺住職)の話はとても啓発的だった。テーマは「これからわれわれは3・11とどう向き合うか」。
トーク全体の要約はマル激のホームページにあるので、それを参照されたい。http://www.videonews.com/charged/on-demand/561570/002329.php
本多氏の言わんとするところを消化するために、ごく一部分だが、文字に起こしてみた。
ただし、あくまで意味を把握するためのだいたいのものであり、「である体」への変換や文の整形、補足等を行っている。より正確な内容を知りたい方はトークを直接お聞きいただきたい。
以下、トーク前半の 39分10秒あたり~50分20秒あたり の聴き取りであるが、真宗的な考え方が充分に表れていると思う。
(“()”は意味が通るように筆者が補足した部分、あるいは、話の流れからそれた部分であることを示す。) 
 
------ 以下、聴き取り内容 -------
どうしたらいいのかという問いが解体されたところに、道が開けるのだ。
愚かだ,救いようがないんだ,ということに頷けたら、道が開ける。
本来の在り方を縛っている意識構造 ――自力作善や自我という言葉に代表される―― が(間)違っていることに気が付くということで、真実に触れるのだ。 
((仏教では)行為ではなく存在を出発点にする。)

(そのように真実に触れたときでも、)「分からないからどうしたらいいのか」と問う主体が残っているが、(そう問うこと自体は問題なく)動機は何でもいい。
(僕(=本多氏)の場合も)「このままではどうしようもないじゃないか,どうしようもないじゃないか」と(どんどん問い)をぶつけていく。
「困っている人や格差の問題等を,どうしたらよいのか分からないじゃないか,黙ってみていろとでも言うのか」(と、問いをぶつけていくのだ。)

そういう発想をとことん大事にしていくと,全く相手にしていなかった(教えの)言葉が、聞こえてきたり腑に落ちたりする。それは意識構造よりもっと深いところ(で起こっており)、“不可思議”としか言いようがないが、そういうことが(実際に)あるのだ。

(このまえ安富歩氏がマル激に出演したそうだが、彼の言葉だと(多分)“説明不可能”という言い方をしたと思う。)

私たちはそれを解明したくなるが(できない)。そこは親鸞の教えを聴いていてイライラするところである。
しかし,実際に(そういうことが起こる。)僕(=本多氏)の中にもそういうことが起こった。

「凡夫だ,お前は愚かだぞ」と言われたら、(かえって)生きる力が湧いてくる。
考えられないことだろうが、そうなのだ.

これはマインドコントロールとは違う。道理によって救われるのだ。
(そこは気を付けないといけない。洗脳で感動することもある。宗教の危ないことろでもある。)

(仏教で)“仏智”・“光”という言葉で表されるもの、それに触れて頷くのである。
 (このトークの)はじめに話した通り,現実から問われて「間に合わない」というところに、初めて教えが聞こえてくる。
『歎異抄』の言い方で言えば、「念仏を唱えようという気持ちが“起こる”ときに救われている」のであって、“起こす”のではない.

(本(『今を生きる親鸞』)にも書いたが、)
日テレで放送された17歳の女の子の例:
津波でお父さんとお母さんを失った。しかし、「お父さんお母さんが働いていたイチゴ農園で働いきたい」と言って少女が明るい顔をした瞬間があった。
これは、生きていてほしいという外から呼びかけが響いている(としか考えられない)。
(本多氏の宗教感覚からいえば、)お父さん・お母さんからが,彼女に無言のままに呼びかけて立ち上がらしたと思う。
だから、「頑張ろう日本」とか、そういうことを考えた(思い浮かべた)のでもなんでもなくて,
「ここに生きているままに,そのまんま足を付けて生きていこう」という(思い)、
(仏教的に言うと)外から呼びかけた未来 ――“純粋未来”と言うが―― そういう何かに呼びかけに導かれて動いたとしか考えられない。

このときにはもう(彼女の心は)“解体”している。
(ただし)“解体”しているけれども、彼女が何も動じない人間になったかというと、そうではない。
お父さんお母さんが生きているクラスの子が(お父さんお母さんについて)しゃべっているのを見れば泣くだろうし、やっぱり不安は何も解決していない.
しかしながら、そこに引き受けていく力が出てくるということは、
人間の意識構造の深いところにあるものが顔を出してくるということが起こっているとしか言いようがない。
そういう形でしか、現代的な表現ができない。

もう一度(話しの初めに)戻ると、
仏教が苦悩する人間(人間の苦悩)のなかから生まれたということは、いたずらに苦悩しているのではない。苦悩するということは、何かこれは(自分の願いとは)違うんだと思っている、それを超えて行きたいんだ、受け止めて超えて行きたいんだ、(と思っているのだ)。
 
ある問題が解決しても次々と問題が出てくるから、人間は目の前に起こっていることと格闘するしかない。(次々起こってくる個々の現実的問題は)地震・津波だけではない。
父親が亡くなったという人にとっては,それは津波と同じ現象だ。
そういう思いを抱えた人が、どこで、苦悩の大地に足を付けたまま歩いて行けるのだろうか?(苦悩の大地を変えたいという発想ではなく。)
彼女の例だと、自我の解決とは,お父さんとお母さんが助かって、もとどおりに家が建築されるということだが、そうならないのが道理である。(にもかかわらず、)そこに生きていく道があると仏教は言う。
逆に、道理に頷けない自力作善の人間のありかたをとことん批判していく(のが,仏教である)。

そういうことで(人間は)立ち上がっていく.
(ひどい言い方のようだが)人間に生まれてきた悲しみというのは受け止められないということだ。
(ここで、動植物はそうではないという例が挙げられる。)
人間だけが受け止められない。だけども、人間だけがそれを翻して生きていく道を知っている.

あなたが生まれてきたのは本願に出会うためだとこういう宗教臭いことを言われると分からなくなってしまうが、
やはり,自分の意識転換がなければならない.
だから,どうしたらいいのかという問いを退けるのではなくて,どうしたらいいのかという問いをとことん大事にしていくのだ。
それは教えとの格闘である。
僕は、格闘した末に無条件降伏したところがある。(この無条件降伏を真宗では“信心”と
いう。)
何かを信じてそれを握りしめて(把握して)前に進んで行くのではなくて,この自分が愚かだなと分かった時に立ち上がって行けるのだ。

こういうものが、もし3.11のなかに、一人一人のなかに出てきたならば,どうなるだろうか?
(そういうことを考えてみたい。) 
 
【修正履歴】 
2112年4月1日、
「ある問題が解決しても次々と問題が出てくるから、人間は目の前に起こっていることと格闘するしかない・・・」の段落にあった次の文章は、前後と意味をつなげることが難しかったので削除した:
「(ここで,本多氏が,一般の信徒さんたちに向かってよく言っている話が例としてひかれる.) (僕はいつも)「誰もが幸せになりたいよね」と信徒さんたちに言っている。人は幸せになりたいという思いがある.日々,自分が思っていることがかなうとよいと思っている。」
 

2012年3月9日金曜日

水月昭道著『ホームレス博士』第一章について

水月昭道の著書『高学歴ワーキングプア』とその続編『ホームレス博士』を読んでみました.

余りの不条理に怒りを禁じえないとともに,自分の無知に腹が立ちました.

以下,『ホームレス博士』の一章から,かいつまんで内容を紹介します.


“9.1%”
これは,2009年度の博士課程修了者(単位取得退学者でない!)のうち,
死亡・行方不明者の割合です.実に,約1割です.

2009年時点で博士号保有者の総数は,(大学や官民の研究機関と全く縁が無くなってしまった人を含めると)およそ10万人ですので,約1万人の博士号保有者が,死亡または所在不明となっていることになります.

しかしながら,これは1991年から始まった大学院重点化の結果で,予測できたことです.少子化に伴うポストの急激な減少を恐れた諸大学の権力層が,天下り先の減少を危惧した文部官僚とが手を組んで,仕掛けたものです.(その先陣は東大法学部がきった.)
予見できたのに踏み切ったという意味で,これは犯罪ではないでしょうか.

『高学歴ワーキンプア』がベストセラーとなり,マスメディアもこのような問題を取り上げると,今度は,博士号取得者の不満をかわすために,博士キャリア支援やGCOE拠点形成による若手研究者雇用の制度が,ガス抜きとして整備されました.

(ガス抜き自体は,暴力革命やテロを防ぐ機能があり,一概に悪いとは言えないところが,悩ましいところです.ビスマルクの社会保障政策とロシア革命を対比されたい.ただし,ナチス政府による特殊なガス抜き法は最終的に破滅をもたらしましたが.)

若手研究者や非常勤講師たちは,真面目な人が多く,これまでに研究したことが活かせるだけ幸せだと自分に言い聞かせ,不利な労働条件に甘んじました.

ガスを抜いたとはいえ,このような事態がいつまでも社会問題化しないはずはないのですが,
首謀者たちは妙案を見つけました.個人の問題にしてしまおうというのです.
「犠牲者は単に能力が足りなかったのだ」という言説の普及に努めました.
それも,自分たちの口からは言えなかったので,審議会の御用学者や週刊誌等のメディアを利用しました.

「本当に優秀なら海外にだっって仕事が見つかる(バカだから国内に残っている)」
「算数ができない大学院生」(「分数ができない大学生」の大学院版),
「量が増えたから質(能力)が低下したのだ」等々,
いずれも根拠の怪しいキャンペーンです.
(ただし,三つ目については,大学生のレベルについては当っているという研究がある.)

ところが,残念なことに,若手博士たち本人も,親など彼らの応援者も,これらの言説を信じてしまい,自分の性だと思って意気消沈していきました.

(斯く言う私も,そう思ってしまう傾向がある.)

さらにたちが悪いことに,このガス抜き装置は,(学振に採用された人と採用されてない人の間など),少しは恵まれた人とそうでない人との間に,反目を生み,うまいこと彼らを分断統治することを可能にしました.

民主党の事業仕訳のときは,さすがに博士たちは結束して不満ののろしを上げましたが,
そこは,機を見る天才の官僚たちです.仕分け人を悪人に仕立て上げ,事業仕分けに対する「反論」を募集しました.

若手博士たちは騙されて文科省の味方をし始めました.結果として,取り込まれてしまったのです.

水月氏は,ここで悩みました.
仕訳人たちの無知蒙昧な言いぐさは,とても容認できない.かといって,文科省の策略にも乗りたくない.

幸いなことに,博士たちのなかに,自分たちの苦境の実態を,実名で訴える人たちが現れました.
水月氏はこの動きに期待しています.

それとともに,水月氏は,もう大学院重点化政策は終わりにすべきだと主張しています.
(潮木守一・名古屋大学名誉教授も,博士課程の緊急閉鎖を提案しているが,
これに対し,水月氏は,修士課程を残すという点が既得権層寄りだと批判している.)

また,城繁幸氏の著書『若者はなぜ3年でやめるのか』『たった一%の賃下げが九九%を幸せにする』を引用し,(専任職員の)賃下げと同一価値労働同一賃金という選択肢を考える時期に来ているとしている.

(最後の点については,筆者としては,同じく城氏の提案している「日本型成果主義」を含め,広範な選択肢のなかから,実証的に検討していくべきだと思う.)

2012年3月9日