2011年7月2日土曜日

懐中電灯のパラドックス

「スイッチを入れれば電球が点灯する」は必ずしも真ではない。なぜなら、電池が切れているかもしれないから。
「電池が切れていなくて、スイッチを入れれば電球が点灯する」も必ずしも真ではない。なぜなら、配線が切れているかもしれないから。
このように、いくら条件を増やしていっても、真なる命題には到達しない。
(懐中電灯の代わりに、もっと複雑な装置や自然現象を想像してください。)

したがって、「スイッチを入れれば電球が点灯する」が真になるためには、
「他の条件に妨げられることがなければ」という留保条件が常に必要である。

要するに、すべての命題は本質的に条件付き命題(仮言命題)である。
「電池が切れていないくて」といった当然の条件や「他の条件に妨げられることがなければ」といった留保は明示しない。

科学社会学や科学技術社会論では、科学知識の「文脈依存性」を重視するが、
社会論的な議論以前に、すでに論理学の段階で「文脈依存性」の問題は存在する。

同様に、命題の「確率」も本質的には常に「条件付き確率」である。

参考文献:『ハイデガーと認知科学』の状況論理についての節、および
     『知識と推測』(渡辺慧著、東京図書)。

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