枝野官房長官の「ただちに問題があるというわけではない」という答弁の仕方について、ある方と議論した際に、
「弁護士出身なら第1種誤りを恐れるのは正当ではないか」と指摘してみたのですが、自分でも違和感があったのでその後考え直してみました。
その結果、「第1種/第2種誤り」という切り口自体に問題があったことに気付きました。
以下に、少し詳しく述べます。
一般に、
「問題がない」のに「問題がある」と言明するのは第1種誤り、
「問題がある」のに「問題がない」と言明するのは第2種誤りで、
科学者などの専門家は、第2種誤りよりも第1種誤りを犯すことを恐れる、
ということがよく言われます。
ここで気がついたのは、
「問題がない」は「問題がある」の単なる論理上の否定ではないということです。
もし、単なる論理上の否定なら、
「問題がない」を立証するためには「問題がある」を部分的に反証すれば充分で、
「問題がある」ことの立証に比べてずいぶんと楽な作業になります。
ところが、実際には、「問題がない」も「問題がある」と同様に、証拠による裏付けと社会的信用を賭けることが必要な「積極的言明」です。
このように否定言明が肯定言明と同じくらい努力が必要な積極的言明である場合は、否定言明も肯定言明は対等であり、第1種誤りと第2種誤りはどちらも等しく恐れるべきものとなります。
これは弁護士や科学者に限ったことではなく、言明者が誰でであっても言えることです。
ということは、証拠が十分でない場合は、
「問題がある」とも「問題がない」とも言明しないか、あるいは、「「問題がない」とは言えないが「問題がある」とも言えない」という言い方が妥当だ、という結論になります。
枝野官房長官もこの原則に従っています。
しかし、だから枝野長官の言明は妥当だ、ということになってしまうようでは、言明の評価方法としては不充分と言わざるを得ません。
そこで、評価の仕方を変えてみます。
「「問題がある」とも「問題がない」とも言えない」、すなわち「積極的言明ができない」という言明を考えれば、これに対して第1種/第2種誤りを考えることができます。
このとき、
第1種誤りは「積極的言明ができないのに言い切ってしまう」、
第2種誤りは「積極的言明ができるのに言わない」
となります。
このような追加的な精緻化を一段階経ることで、晴れて、
「専門家は第2種誤りよりも第1種誤りを犯すことを恐れて積極的判断を控える傾向がある」
という言うことができ、さらに、
「あまりに第1種誤りを犯すことを恐れて積極的言明を控え過ぎる場合、不作為となっている可能性がある」
とスキーマティックに結論することができるようになります。
これをさらにスキーマティックに言い換えて、
「専門家は、たとえ証拠が少ない場合でも、それまでの誠実かつ注意深い考察に基づいて形成した自分の信念に従って、主体を賭けて積極的言明を行わなければいけない時がある」
ということが結論できます。
いつもこういった細かいことばかり考えていますが、
反応してくださる方がいると、たいへんうれしいです。
(2011年12月14日に大幅修正。)
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