2011年11月26日土曜日

シンポジウムで外国の専門家の移動に要したエネルギーの見積り


シンポジウム「震災復興に省エネ住宅は役立つか」に招聘したスウェーデン・ルント大学の専門家には、コペンハーベン ー 東京間を直行便で往復してもらったので、その分のジェット燃料(主成分は灯油)が消費されたはずだ。
を参考にすると、ジャンボジェットなら片道7000kmで1人当り約12万リットルの燃料を消費する。往復14000kmだと1人当り約24万リットル。
簡単のために、ジェット燃料≒灯油≒原油とすると、
1原油リットル=約10kWhなので、240万kWh (1次エネルギー換算)を消費した。
(ジュール[J]への変換より覚えやすい。ジュール表示にするに
は、
...
1[Wh]=3600[J]で再度変換する。)

以上の消費エネルギーを電気製品のエネルギー消費と比べてみる。
会場の照明が32W型蛍光灯40本分だったとする。電力の発送電
効率を約3割(つまり7割が損失)として、燃やした1次エネルギーは、
32W × 40本 ÷ 3割 ≒ 4000kW
となるから、会場に2400時間いた時の照明の電力量と同じくら
いだということになる。
シンポジウムは4時間だったので、ジェット機での往復に要したエ
ネルギーは、会場の照明に使われたエネルギーの約600倍となる

来年からは、ウェブ会議を活用することも検討したらどうだろうか?
もっとも、来年のノルウェー・ウィークで省エネ関係のシンポジウ
ムをやるかどうかはわからないが。

GDPにカウントされないもの ―社会関係資本―

前稿で、土地や金融資産の取引高はGDPに含まれていないと述べた。
ただ、国民経済計算体系の貸借対象表や資金循環勘定では補足さているのかもしれない。
(こんなこともまだ確かめていなところからしてシロートなのだが。)
しかし、GDPにカウントされない、否、国民経済計算体系では補足できないものは、たくさんあるのだ。
例えば、社会関係資本(人間関係資本)の増減は、GDPにはカウントされない。
そして、日本の社会関係資本は他のOECD諸国とくらべて少ない

また、働けない人に対する考え方がひどい。

"What the World Thinks in 2007: The Pew Global Attitudes Project"
というアンケート調査によると
「働く能力のない人が生活に困っても政府は援助する必要はない」と言う設問にYESと答えた日本人が何と38%もいるというのだ。
米国ですら28%、他の先進国は10%以下だそうだ。ブラジルや中国でもやはり少ないらしい。
(出典:波頭亮氏の日経BPオンラインの記事
「成長論」から「分配論」を巡る2つの危機感 ―自力で生活できない人を政府が助ける必要はない!?―」
http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20111114/223822/?rt=nocnt)
日本はこんな国で本当によいのか!
自殺者が多いこととも関係があると思われる。

イタリアは、今かなり大変なことになっている国だが、失業した人を親類縁者が面倒を見るという社会習慣があるときく。超競争社会の米国でも、キリスト教会などが提供するセーフティ・ネットがある。

戒律型宗教のない日本だが、「社会関係資本」の形成について、根本から考え直す作業を皆が行なう必要があると思う。
「ソーシャル・カフェ」と銘打って実施してみてはどうだろうか?

量的緩和は本当に有効か?

「土地や金融資産の取引高はGDP(=実物経済取引高)に含まれない!」 
(こんなことも知らずに、最近経済学を勉強しています」といっていた自分が恥ずかしい。)
昨今ではいくら貨幣を発行して量的金融緩和をしても、マネーは資産市場に流れやすい。
量的緩和は、資産インフレは起こしても、一般物価のインフレや(名目)GDPの成長はそう簡単には実現できないという、疑念がよぎる。
リフレ派の方々には、この点について、確度の高い証拠を示しつつ答えていただきたいと思う。

量的緩和がGDP成長につながらないとする論客の中で定量的議論に強いのは水野和夫氏(管内閣の経済アドバイザー)。一方、リフレ派の中で定量的議論に強いのは高橋洋一氏(小泉内閣で竹中平蔵氏の知恵袋。)
この二人に直接バトルをやってほしい。おそらく原発問題よりも早く意見が収束すると思われる。
量的緩和の効果としては、リチャード・クーが指摘する、企業の「バランスシート不況」の解消が挙げられるだろう。企業の保有する金融資産や土地資産価格が下がると、利益が出ても負債の圧縮に当てられ、設備投資(実物)する余裕がなくなる。従って、量的金融緩和によって資産価格を上昇させれば設備投資が増えるだろう、というわけだ。(※)
しかしながら、水野和夫の指摘によると、日本企業が戦後から90年代までに銀行から受けた貸し出しの総額は、すでにキャッシュフローによる返済が不可能な水準に達していた(『100年デフレ』123頁)。これが本当だとすれば、これまでの量的緩和で企業のバランスシートが回復しきったのかどうか疑問がある。とすれば、あとどのくらい量的緩和を行えばよいのか、その金額には不確実性がかなりあることになる。
リフレ派には、量的緩和の具体的な額と継続年数を不確かさ付きで示してほしいところだ。
(お前は何様のつもりか、と言われてしまいそうだが)。
ところで、FRB議長のバーナンキの狙いは、企業のバランスシート調整にとどまらない。リスクの高い資産を買い取ることによって、資産投資への不安を解消しようというものだ。 
金融・サービス業が中心く、かつドルが基軸通貨である米国と違って、財の生産で稼ぐ企業にエクセレント・カンパニーが多く、かつ円が基軸通貨でない日本では、この手は使えないだろう。 
 ただし、オリンパスの例を見ると、「エクセレント・カンパニー」と呼ばれている企業が、本当にエクセレントなのか疑わしくなってくるのではあるが。  
 負債が多いからと言って、バランスシートをごまかすことは絶対にしないで欲しいと思う。日本全体での負債総額の値が信用できなくなる。
 現状を正確に把握できなければ、再生もない。


(※)
Wikipedia「リチャード・クー」の記事の「バランスシート不況」の項では、次のように「資産デフレスパイラル」として説明されている。
「・・・負債圧縮、借金返済のために資産の売却や設備投資の縮小が行われ、これが更なる資産価格下落や景気の悪化を呼び、企業のバランスシートを悪化させる。そしてこのことが更なる負債圧縮、借金返済を迫り、資産価格の下落や景気悪化をもたらすという悪循環が起きる」
(11月30日追加)

2011年11月22日火曜日

原子力・エネルギー政策の議論が4委員会で正念場を迎えています

「マル激トーク・オン・ディマンド」の神保哲生氏によると、
エネルギー政策をほぼ決定する、国家戦略室コスト等検証委員会や総合資源エネルギー調査会・基本問題検討委員会など4つの委員会で、議論が正念場を迎えており、このままでは従来の延長の方向で事が決まってしまいそうだ、ということです。
11月19日のニュース・コメンタリーで、大島堅一教授の出席しているコスト等検証委員会の模様とその解説が無料で放送されています。
 
http://www.videonews.com/news-commentary/0001_3/002158.php

是非ご覧いただき、内容に賛同なさった場合は、拡散・流通をお願い致します。

(なお、私は videonews.com の関係者(回し者)ではありません。このまま、きちっと議論がなされないまま、事が決まってしまうことに納得がいかないだけです。)

2011年11月14日月曜日

東京工業大学"Sweden Week"シンポジウム「震災復興に省エネ住宅は役立つか」(11月24日(木)14時~)のお知らせ

シンポジウムへの参加のお誘いです。
なお、お知り合いに関心のありそうな方がいらっしゃいましたら、このメールを転送していただけると幸いです。

東京工業大学大学院社会理工学研究科では、「北欧との連携」というプロジェクトを実施しています。その一環として、来たる11月21日~25日の週を "Sweden Week" と称し、様々なイベントを実施します。
24日(木)のシンポジウムでは、省エネ建築が震災復興とエネルギー問題に果たすであろう役割について、被災地市民と日本・スウェーデンの専門家を招いてディープな議論を行います。
より詳しい内容は、下記の【シンポジウム概要】をご覧ください。

ご関心のある方の参加をこころよりお待ちしております。


シンポジウム「震災復興に省エネ住宅は役立つか
        ―被災地域市民とスウェーデン・日本の専門家による討議―」
日時:   11月24日(木)14:00-18:00
場所:   東京工業大学大岡山キャンパス 西9号館2階 ディジタル多目的ホール
参加申込: おおよその人数を把握したいので、「Sweden Week 事務局」まで、お名前と連絡先を
明記のうえ参加申込をお願い致します。会場に余裕がある場合は、当日参加も歓迎致します。
Sweden Week 事務局: swedenweek@gmail.com (電話 : 03-5734-2267)
ホームページ: http://www.dst.titech.ac.jp/event/sw/Day4.html

コーディネーター:
東京工業大学GCOE「エネルギー学理の多元的学術融合」特任助教 詫間直樹
パネリスト:
東北大学大学院工学研究科 都市・建築学専攻 教授 吉野博
ルント大学 Energy and Building Design部門 部門長 Maria Wall
岩手県大船渡市三陸町越喜来地区 震災復興委員会 事務局長 鈴木健悦
ワンプラネットカフェ共同代表・環境コンサルタント Peo Ekberg(ぺオ・エクベリ)

【シンポジウム概要】
 東日本大震災を受けて、被災地域をエネルギーの供給利用の先進モデル地域にすることが提案されてきました。例えば東日本大震災復興会議の提言では、省エネルギー、再生可能エネルギー、蓄電、熱電併給などの手段を組み合わせて、災害に強くエネルギー効率の高い自立・分散型エネルギーシステムを構築することが提案されています。
 再生可能エネルギーについて、固定価格買取制度の導入が決定し、釜石市のように具体的な計画が進んでいる地域もあるのにくらべると、省エネルギーは出遅れている感が否めません。ようやく最近になって、住宅の断熱改修などを街全体で進める省エネルギー事業を検討する旨が、国土交通大臣によって表明されたところです。
 日本のエネルギー需要の約3割は家庭やビルなどの建物において消費されているので、断熱化や太陽熱利用などによってエネルギー使用量を大きく削減する「省エネ建築」の手法がたいへん有効です。被災地では、数万個の復興恒久住宅を供給する必要があると推計されていますが、これらを「省エネ建築」の手法で建てることは十分検討に値することではないでしょうか?
 また、被災地で省エネ建築が普及すれば、全国の新築とリフォーム(いずれも毎年30万件程度)の動向にも影響を与えるでしょう。その意味で、震災復興住宅を省エネ建築とするかどうかは、今後の日本の省エネ動向をうらなう試金石となるでしょう。

 本シンポジウムでは、省エネ建築(省エネ住宅)の諸技法によって具体的にどの程度のエネルギー使用量が減らせるのか、費用はどの程度かかるのか、また、そもそも居住者は省エネ住宅を望むのかどうか、といった重要な問題について、パネリストの皆さんに議論していただきます。
 パネリストは、専門家として、日本の省エネ建築の第一人者である東北大学の吉野博教授と省エネ住宅の先進国であるスウェーデン・ルント大学の研究者Maria Wall氏をお招きしています。また、住み手の考え方や行動が住宅の機能達成に大きな影響を与えることを踏まえて、被災地市民の代表として岩手県大船渡市三陸町越喜来地区震災復興委員会の事務局長を務める鈴木健悦氏、および、日本のマンションを購入しエコ改修を実施した、スウェーデン人環境コンサルタントのPeo Ekberg氏に、住み手の目線で議論に加わっていただきます。

 プレゼンテーションが約2時間30分、それを踏まえたディスカッションが1時間弱という長丁場ですが、ご関心・ご興味のある方の参加をこころよりお待ちしています。

2011年10月11日火曜日

復興費用の財源は、国債の日銀引き受け?それとも増税? (その3)

シロートが勉強しながら論を進めるよりも、複数の専門家のバトルを見た方がよっぽど役に立つことに思い至った。
そこで、方針を変更して番組紹介をする。

2011年9月17日放送の「たかじんNOマネー」(テレビ大阪)は、
三橋貴明の主張を、竹中平蔵氏ら他のパネリストが評価するという形をとった。
(出演:やしきたかじん、三橋貴明、竹中平蔵、岸博幸、青山繁晴、大谷昭宏、眞鍋かをり)

トピックは、
野田政権の復興増税、円高への対応、 TPP、財政破綻の可能性、
の4つ。

この番組の動画は、例えば、以下のサイトで見ることができる。
http://varadoga.blog136.fc2.com/blog-entry-6680.html
http://channel.pandora.tv/channel/video.ptv?ch_userid=sasa3344&prgid=43394756

百聞は一見にしかず、ご覧あれ。50分間を割く価値は充分にあると思う。


竹名氏が経済学者らしくロジックに従ってとうとうと論ずるのを初めて見た。
岸氏も
「竹中先生、経済学者みたいですね、今日。彼、いつも政治学者っぽいんです、プライベートでは。」
と感想を述べている。

2011年10月9日日曜日

復興費用の財源は、国債の日銀引き受け?それとも増税?(その2)

直観的には、増税は金融引き締め、国債発行は緩和であるから、正反対の施策ということになると思う。
同じ現象に対して、そこまで処方が異なるということがあり得るのだろうか?

復興財源として国債(60年償還)の日銀引き受けを主張している人は、複数いるが、一般読者にも検証可能なように丁寧かつ分かりやすく論ずる能力は、三橋貴明氏が一番たけているように思う(→注1)。
一方、「増税」を主張する論者としては、正直誰をフォローすればよいのかわからないのだが、野口悠紀雄氏の本や記事は、一般読者による検証可能性を意識しているように見える。どういうモデルに依拠したのか、また、どこからが独自の仮説なのかが明示されているという点で良心的と言える。
(もちろん、だからと言って主張に賛同しているわけではない。)

さて、国債を発行してお金の量を増やしても、市中銀行の企業や市民に対する貸し付けが圧迫されてしまったら元も子もない(さすがに被災地域の住宅・建設・土木に関しては貸し付けが増えるものと筆者は期待する)のだが、この点について野口氏は、銀行が貸し付けに消極的で資金を国債購入する傾向は、長年の銀行の体質(流動性の罠)であって克服するのは難しいとみている。

円高については、 三橋氏・野口氏ともに、為替介入(政府短期証券発行→円→ドル→米国債購入)のために損失を出すのには反対という点で一致しているが、詳細は違う。
三橋氏は、円高の原因が、米欧の中央銀行が自国通貨の供給を大幅に増やす量的緩和を行っているからだとし、円の通貨供給量を増やすことで円高を是正することを主張する。これは同時にデフレ対策にもなる。その結果、均衡レートは今より円安になるはずで、あとは輸出企業の自助努力次第だというのが三橋氏のスタンスだと思われる。
他方、野口氏は、対米資産の取り崩し・売却、および、製造業からサービス産業へのシフトを主張する。
ただし、前者は、米国の怒りを勝って他の面で不利益を被る可能性があり、後者は構造転換なので時間がかかるものと推測される。

(注1)
小泉政権で金融政策を担当した高橋洋一氏も金融緩和を主張している。
三橋氏と高橋氏の違いで面白いのは、両者とも、マネタリーベースの拡大によって円高を緩和する処方を主張しているが、その規範的な帰結が違うというところだ。
高橋氏は、輸出の多い企業はエクセレント・カンパニーだから、日銀が円を増やさないのは怠慢だと言う。一方、三橋氏は、なぜごく一部の輸出企業のために為替介入して損を出さなければいけないのか、と輸出企業に対して厳しい。



【お断り】
筆者は、経済・財政・金融に関しては全くのシロート(せいぜい教科書程度)であるが、一有権者として、事態の推移を見守っているところである。
コメント&間違いの指摘を大歓迎!!


(修正履歴: 
・2011年10月12日、文中の括弧注を(注2)に移し、さらに修正・加筆。
・2011年10月13日、
三つ目の段落から、「国債を日銀引き受けとする処方はそれを意識しているはずである。三橋氏も当然考慮している」を削除 (推測の部分が大きいので)。
同段落の、「長年の銀行の体質」のあとに、括弧とともに「流動性の罠」の語を追加。
また、(注2)を削除した (公共事業・直接金融、および、公的インフラ被害と私的インフラ被害の比率について言及しようとしたが、勉強不足の恐れがあり削除した)。
そのほか、大意を変えない範囲で小幅な修正をした。

2011年10月7日金曜日

復興費用の財源は、国債の日銀引き受け?それとも増税?(その1)

筆者は、経済の専門家では全く無いのだが、復興費用をまかなう手段として専門家たちの間で挙げられている2つの施策
(a) 国債(60年償還)の日銀引き受け
(b) 増税
のどちらが正しいのか、その決着をかたずを飲んで見守っている。

学者や評論家といった専門家の間でも意見が分かれているが、力量のある専門家の間で互いに検証な形で議論なされない限り、国民は検証可能な手段を持てず、官僚、政治家、マスメディアおよびロビー団体の間の力学しか観察できず、かつ、結果を知った時にはすべてが決まっている、ということになっていしまう。

(従って、論争内容と同時に、意思決定プロセスについてもモニターする必要がある。
そちらは、政府等の内部事情に詳しいフォローされたい。例えば、長谷川幸洋氏と高橋洋一氏がよいかと思う。)

さて、上記、二つの対立する説のうち、
(a)を主張する専門家として、三橋貴明氏を、

(b)を主張する専門家として、とりあえず野口悠紀雄氏選んだ。

「その2」でさらに説明を続けるが、先に文献を紹介しておきたい。

まず、三橋氏の主張は、ネット上で多数閲覧することができるが、
例えば、日経ビジネスオンラインの記事
http://business.nikkeibp.co.jp/article/money/20110510/219901/
を参照されたい。

野口氏の著書は次の2冊を参照した。 
『日本を破滅から救うための経済学』(ダイヤモンド社、2010/7/29) 
大震災からの出発 ―ビジネスモデルの大転換は可能か』(東洋経済新報社 、2011/7/8
これら二冊の出版の間に、東日本大震災が起きているが、理論枠組み・結論ともに変わっていない。

同氏はまたネットにも多くの記事を書いている。
例えば、ダイヤモンド・オンラインの、
http://diamond.jp/articles/-/12245
http://diamond.jp/articles/-/14313
参照されたい。


(履歴: 2011年10月9日大幅修正。)

2011年10月5日水曜日

原子力規制の基本テンプレ

「・・・を問題視した○○庁が平成○○年○月に○○○○に対する監督指針を改正し、○○に当たっては『過去のストレス時のデータ等、合理的な前提を踏まえた最悪のシナリオを想定した想定最大損失額について、○○が理解できるように』説明する必要があると明文化された。」

以上は、Wikipedia「仕組債」の文章において、いくつかの文字を白丸に置き換えたもの)。

これくらいは当然やるべき。
市場ですらそれを望んでいる(というか、むしろ独自に試算を進めている)ということだ。

2011年10月2日日曜日

エネルギー政策の討論番組

エネルギー政策について、根拠ベースで討論している番組が少ないなか、
現状で恐らく最も充実した討論番組が、
9月11日朝日ニュースターで放送された宮崎哲弥司会の4時間討論番組。

9/11(日)夜7:00~ 宮崎哲弥大論争スペシャル 
「震災を超克せよ! 震災、原発…4時間討論」
東日本大震災から半年。
この大災害から我々はどのように復興に向かうべきなのか。
また、今後のエネルギー政策をどのように考えていくべきか。
各政党の論客、専門家らとともにじっくり考えます。
 
復興・原発・エネルギー問題についての4時間の討論。

経済に精通したメンバーがいる中で飯田哲也vs澤昭裕の対決が見られたので、大いに満足。

どうやら風力発電の増加に合わせて火力のバックアップを増やす必要があるというのは本当らしい。澤氏によれば、ドイツでは火力を再び増やす計画だという。(※1)

(司会: 宮崎哲弥 
討論参加者: 岸博幸・飯田泰之・吉崎達彦・三橋貴明・澤昭裕・飯田哲也・大塚耕平・林芳正・桜井文城・穀田恵二)

ニコニコ動画に以下のタイトルでアップされています。
「三橋貴明出演 復興、原発…4時間討論~」
http://www.nicovideo.jp/watch/sm15620790
3分割のうち、2つ目と3つめが原発とエネルギー政策に関する討論。

(※1)
「どうやら風力発電の増加に合わせて火力のバックアップを増やす必要があるというのは本当らしい」と述べたが、一旦お金の具体的な値の話を切り放して、可能性を探ることも有益。
その場合、再生可能エネルギーの導入手順としては、例えば安井至氏の次の解説が分かりやすくて示唆的だと思う
(電気以外のエネルギーを含めて、一から見直している。)
http://www.yasuienv.net/pg000007.htm

2011年9月14日水曜日

反省。ゼロに戻れ。

児玉龍彦教授と津田大介氏の対談を見た。
(http://www.ustream.tv/recorded/16442790)
 社会や歴史を批評できる知識人にならなければいけないという強迫観念に憑りつかれていた自分に気づき、大いに反省した。知識人が一人増えようと増えまいと、どうでもよいのだ。

背伸びなどしなくてもよいのだ。
他人に評価してもらいたいという欲求は自然であるが、既に一度それを放棄した人間だ。何を今さら。
食いっぱぐれたとしてもそれが何だ。もともと科学史・技術史はアマチュアリズムだった。アマチュアでよいのだ。

無理をして頓珍漢な論評をしても、心ある数々の実践に水をさすのが落ちだろう。
能力と見識を兼ね備えた人がたくさんいるのを心強く思う。私ごときが一人いなくても、諸々の実践はしっかりと進んでいくのだ。
運よく人の役に立てれば儲けもの。

やりたいこと、できることを、機会あるかぎり淡々と行っていく。
それでよいではないか。

2011年7月27日水曜日

省エネだけで原子力発電を無くせるか?(超ザックリとした見積り)

東日本大震災と福島第一原子力発電所の事故は、ついに、全国の原子力発電所を止めるかどうか、という大問題にまで発展してしまった。
原子力発電所のエネルギー供給は、日本における発電量の3割を占めると言われている。
国内の総エネルギー供給(石油・石炭・天然ガス・ウラン・自然エネルギーの合計)に占めるの割合でみると、原子力発電は全体の1割強である。

こんなに大きな割合を占める原発の供給電力量をゼロにしても大丈夫なのだろうか?
ということで、ザックリと見積もってみた。

まず、民生部門(業務部門≒商用ビル、および家庭部門=住宅)のエネルギー消費を、
ゼロエネルギー建築(または低エネルギー建築)へリプレイスすることによって削減することを考えてみよう。
民生部門におけるエネルギー消費は、日本の最終エネルギー需要全体の約3割を占める。(→ 図1)


このうちの約半分(つまり総エネルギーの約15%)が、冷暖房と給湯に費やされている。(→ 図2)
ゼロエネルギー建築(や低エネルギー建築)は、冷暖房エネルギーの大部分と給湯エネルギーのかなりの割合を削減することができる。
ここでは最大限の可能性を議論しているので、冷暖房と給湯のエネルギーをゼロにできると見積もる。

かくして、建築的対応によって最大で15%を減らすことが可能。

(実際、近年では、資材製造・建設・解体時に消費するエネルギーを含めたライフサイクル・エネルギーをゼロにできる住宅が販売されている。ただし、太陽電池の発電量が冷暖房エネルギーを相殺するとみるか、電気製品のエネルギー消費を相殺するとみるかは、議論の余地あり。)

これは、だいたい、原子力発電が、日本の総エネルギー供給(電力に限らない)に占める割合と同程度である。(→【脚注1】)



毎年の新築率は全ストックの3%程度なので、ずべて建て替わるまで30年かかる計算だが、新築率を5%まで上げれば、20年間で建て替え終える。(→【脚注2】)
新築以外にも、省エネリフォーム(改築)という方法もある。(が、その場合のエネルギー削減量は新築よりも落ちると思われる。)

(↑ 図1)





図2 2007年度における業務部門(左)および家庭部門(右)のエネルギー用途別内訳
(『エネルギー白書2009』から作成)
一方、冷暖房・給湯以外、つまり、アプライアンス(家電・OA等)や照明については、

今年7月からの電力制限令を実行して問題なければ、15%削減可能としてもよさそう。
15%はピーク電力の削減量だが、【脚注3】に述べる理由によって、
年間の積算電力量(つまりエネルギー)も15%削減できるとする。
(かなり乱暴だが。)

つまり、
3割×15%=4.5%


以上は民生部門についての見積りだが、電力制限令は産業部門にも課されている。

電力消費に占める産業部門の割合は全体の約4割だから、上述の理屈で、その15%
つまり全体の6%を削減できる。


これらをすべて合計すると(輸送部門での削減を入れないでも)、

25%程度のエネルギーの削減が可能であることになる。
(20年~30年かかる)。

原発のエネルギー供給をゼロにして、さらにお釣りがくる。
このお釣りは化石燃料利用の削減に使われるのだが、もちろんそれだけですべてを削減することはできない。
化石燃料は早晩高騰することは目に見えている。
また、CO2削減の観点からも削減が望まれるが、それを代替するには太陽光や風力などの自然エネルギーを増やすしかない。

なお、依然として、費用を誰がどう負担するかという問題は残っている。



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【脚注1】
15%という値は、
エネルギー転換の際のロス、つまり、発送電の際のロスや、燃料・ガスの精製の際のエネルギー損失を入れて考えるのかどうか、また同じことだが一次エネルギーに換算するのかどうか、
によってかなり変わってきてしまうのだが、
ここでは、ザックリとした議論を目指しているため、気にしないことにする。
(実際、【脚注2】の仮定による誤差のほうが大きい。)
なお、図3と図4を参照されたい。



(↑ 図3: 日本のエネルギー需給バランス
出典: 資源エネルギー庁『総合エネルギー統計(2004年度)』、経済産業省『エネルギー白書2007』、
字を大きくしてある


(↑図4: エネルギー転換ロスを含めた場合の部門別消費割合)


【脚注2】
省エネという21世紀のビジョンに対して新築で問題を解決しようとする考え方には20世紀的なところがある。しかし、ここでは削減可能量の見積りなので、ご容赦いただきたい。
なお、大野秀敏他『シュリンキング・ニッポン』(鹿島出版会、2008年)を参考にされたい。

【脚注3】
電力制限令は、ピーク電力の削減に関するもので、厳密には積算電力量の削減ではない。揚水発電や蓄 電池導入、あるいは勤務時間のシフトなどは、積算電力量の削減にはつながらない。しかし、ブレーカーの容量を落としたり、機器をエネルギー効率の高いもの に買い換えた場合は、積算電力量も減ることになる。
(以下の図5・図6を参照されたい)。

(↑図5 ピークと積算電力量との関係 
出典: 緊急節電HP by 東京大学生産技術研究所 岩船研究室)

(↑図6 夏季ピーク電力の部門別割合(東電管内)。
全国の年間積算電力量の部門別割合と少しだけ違う。)


(初稿:2011年7月27日)
(7月30日修正: タイトル、図3)
(8月31日修正: 【脚注1】のあとに新たな【脚注2】を追加。(もとの【脚注2】は【脚注3】に変更)。また、冷暖房と給湯のエネルギーをゼロにできるとする理由を説明した。そのほか関連する箇所を修正。)

エネルギーとジェンダー

今日、ある女性芸術家にコンクリート打ち放し建築の悪口を言ってみた。

コンクリートは、その力強さと可塑性(曲面や複雑形状を実現できること)から、芸術表現に用いられてきた。(ル=コルブュジエ、オスカー=ニーマイヤー、ルイス=カーン、日本では、安藤忠雄、丹下健三ほか。)

しかし、エネルギー消費の観点からは、製造時にふんだんにエネルギーを消費するうえに、完成してからも、その巨大な熱容量が冷暖房負荷を増やす。ヒートアイランドの一原因でもある。 (もちろん熱量量はもろ刃の剣だ。きちんと設計すれば蓄熱・蓄冷を実現的できる。)(注1)

なんでこうなってしまったのか? それに対する、彼女の答えは、シンプルなものだった。

「それは男のロマンだからだ。」

ジェンダー論はあまり好きではないのだが、当たっている。

そもそも、バウハウスのときから、モダニズムは温熱環境には鈍感なところがあった。冬のバウハウスはものすごく寒かったのだ。

日本の場合、事情がやや異なる。
安藤氏や丹下氏の建築は、西洋のモダニズムと日本の伝統様式との見事な融合とみなされているのだが、
視覚的・形式的にはそうでも、自然の微気候を巧みに利用する本来の日本の伝統とは、中身がまるで違うのだ。

「絶対安心な原発もあるんですけどね。」
安藤氏は石原都知事との対談でそう言った。
(東京MXTV「東京の窓から」、7月16日)。
3.11以後に大きく方向転換をしたということだが、モダニズム、そして「男のロマン」からの脱却は難しそうだ。

だが、これは安藤氏に限ったことではない。
鉄腕アトムに始まって、原子力、いや先端科学技術のかなりの部分が「男のロマン」であったのだろう。

原子力導入の立役者である中曽根康弘は、最近になって「太陽エネルギー」国家への政策転換を明言した。
だが、その転換に不可欠な「省エネルギー」や「ライフスタイルの見直し」までは踏み込んでいない。

「太陽エネルギー」も、多分に「男のロマン」ではないだろうか。

世の中の人間の半分、そして(研究者を含む)フルタイムワーカーの圧倒的多数が男性であることを考えると、落としどころはこのへんなのだろう。


(注1)
コンクリート打ち放しは「定義によって」最外層が裸のコンクリートであるから、内側で断熱していないのなら、コンクリートにたまった大量の熱が室内に伝わる。
断熱するとしても、「定義によって」外側ではなく内側を断熱してあることになる。その場合結露防止の処置が必要なはずだ(防湿や空気層の挿入といった工夫)。(詳細は専門家に確認する必要がある)。


(注1補) 「軽量気泡コンクリート」(へーベル、ALC)は、熱伝導率・容積比熱ともに、木材と同じくらいである。(普通コンクリートの熱伝導率はこれらの約10倍、容積比熱は約3倍である。)
ヒートアイランドの原因となる因子はとしては、表面の熱的性質、たとえば、放射率(=吸収率)、反射率、外側表面熱伝達率などがあるが、これらは表面の幾何学的構造に影響を受けるので、ちゃんと調べてみないとわからない。ここでは、とりあえず軽量気泡コンクリートの(外壁としての)熱的性能は木材とそれほど変わらない可能性があるとだけしておこう。一方、「軽量気泡コンクリート」の強度などの力学性能については、まだ調べていない。


(以下、更新日と更新内容)
作成2011年7月26日。

訂7月27日。

二訂8月1日 
(アントニン=レーモンドの名前を削除。レーモンドの作風は大きく変化しており、中心はむしろ戦後の木造住宅(レーモンドスタイル)。自称技術史家として反省。他の建築家についても、単純化しすぎていないかどうかを確認する必要がある。不適切なら修正の予定。コメント歓迎します。
また、注(※)を削除(上と同じく、建築家の系譜について単純化の恐れがあったため)。代わりに、(注1)を追加。そのほか複数の表現を若干修正。)

三訂8月6日~7日
(注1への補注)を追加。(注1)の一部表現を修正。原注の生き残り(※※)を割愛(レイアウトが見にくくなったため)。

2011年7月2日土曜日

仮説検定法の見直しの必要性 (Facebook過去記事の再掲)

帰無仮説が点仮説になっている単純検定はもうやめた方がよいかも。
仮説検定は、あまたある統計的決定理論の一つの方法に過ぎない。
たいていの仮説検定は、赤池・竹内の情報量基準(AIC,TIC)によるモデル選択の一つとして解釈できる。 放射線の健康影響や原子炉の事故のように、複雑な対象を研究している人は、こういった方法論のレベルまできちっと踏みこんでほしい。

詳しくは、下記を参照されたい。

TAKENAKA's Web Page「有意性検定の無意味さ」
takenaka-akio.cool.ne.jp

【原論文】Johnson, Douglas H. 1999. The Insignificance of Statistical Significance Testing. Journal of Wildlife Management 63(3):763-772.

懐中電灯のパラドックス

「スイッチを入れれば電球が点灯する」は必ずしも真ではない。なぜなら、電池が切れているかもしれないから。
「電池が切れていなくて、スイッチを入れれば電球が点灯する」も必ずしも真ではない。なぜなら、配線が切れているかもしれないから。
このように、いくら条件を増やしていっても、真なる命題には到達しない。
(懐中電灯の代わりに、もっと複雑な装置や自然現象を想像してください。)

したがって、「スイッチを入れれば電球が点灯する」が真になるためには、
「他の条件に妨げられることがなければ」という留保条件が常に必要である。

要するに、すべての命題は本質的に条件付き命題(仮言命題)である。
「電池が切れていないくて」といった当然の条件や「他の条件に妨げられることがなければ」といった留保は明示しない。

科学社会学や科学技術社会論では、科学知識の「文脈依存性」を重視するが、
社会論的な議論以前に、すでに論理学の段階で「文脈依存性」の問題は存在する。

同様に、命題の「確率」も本質的には常に「条件付き確率」である。

参考文献:『ハイデガーと認知科学』の状況論理についての節、および
     『知識と推測』(渡辺慧著、東京図書)。

読書感想メモ:Salsburg著『統計学を拓いた異才たち』および宗像・藤垣論文(2004)

最近、統計的手法の妥当性がよく分からなくなってしまったので、統計学の礎を築いた学者たち(フィッシャー、ピアソン父子、ネイマン、コルモゴロフ、ケインズ、・・・)がそもそもどのように考えていたのか、にたいへん興味がある。
そこで、Salsburg著『統計学を拓いた異才たち』(日経ビジネス文庫)を読んでみた。

研究者によって、検定のp値の解釈、確率分布の実在性、標本空間と日常との関係、といった根本問題について、見解がかなり違う。
それよりも愕然としたのは、理論家達が挌闘した問題そのものが、今では忘れ去られてしまっていることだ。
統計学があまりに科学に深く根ざしてしまったため、これらの根本問題は未解決のまま、至る所に潜んでいる。
事態はかなり深刻なようだ。

「これは科学史やSTSの格好の問題だ」と思った矢先、先行研究に戒めが書かれていた:

宗像・藤垣「専門家の主観的判断の妥当性検証と正当化に関するベイズ統計的研究」(『科学技術社会論研究』第3号、2004年)の注9:

「(ツヴァネンベルクらの)対象分野に関する徹底的な訓練を経て十分な専門知識を得て専門家と対等に議論する」とする立場は、レビューアーの意見それ自体が新たなエキスパート・ジャッジメントになる」

つまり、科学史家やSTS研究者が、統計的方法の根本問題がどのように科学を蝕んでいるかを探るべく、理論統計学の専門家と同じくらいの能力を身につけて、批判的吟味を行ったとしても、それは専門家の争いに加わっただけのことになってしまう危険がある。

それに比べると、宗像・藤垣両氏の、専門家を公共空間に引っ張り出すための統計的ツールをつくってしまおう、という戦略は大人である。
しかもここでいう公共空間には、(統計学という)expertiseを備えた非専門家がいる。
「専門家が駄目なら、市民に問おう」というのとは違う。

中道であり、王道である。

問題は、専門家が使用した論文やデータを充分に入手できるかという点だ。

それがクリアできれば、今回の原子炉事故においても、専門家の主観バイアスを定量的に表示して、オープンな場での議論に一定の基礎を与えることが可能となるであろう。

ちょっと楽観的過ぎるか?


(以上、Facebook過去記事から再掲した。)


【捕捉1】 フィッシャーのp値は、帰無仮説(間違っていて欲しい仮説)が正しいと仮定した場合について計算され、フィッシャーのもともとの使い方では、p値が充分小さければよし、大き過ぎれば実験計画をやり直せ、という意味合いで用いられた。
このp値を、対立仮説(正しくあって欲しい仮説)が正しい場合について計算したものは「検出力(検定力)」と呼ばれ、
1-第2種誤り確率
に等しい。(この値は、大きくて1に近い方がよい)。
帰無仮説に関するp値だけで検定の有効性を議論するのでは不十分で、対立仮説に関する検出力とセットで議論されなければならないというのが、イェジー・ネイマンとエゴン・ピアソンの基本的な考え方である。
「帰無仮説というのは架空の敵であり、比較検討の結果から棄却されるべきものなのである。だからネイマンによれば、得られたデータから架空の敵を倒・・・すためには、データの検出力が最大となるような比較検討をすべきだ、となるのである」(p.171)。

【捕捉2】
仮説検定に関する事態の深刻さが、第11章の174頁以降に書かれている:
「現在教えられている仮説検定の方法では・・・、ネイマンの重要な洞察 ― 架空の敵である帰無仮説を検定するためにはうまく定義された対立仮説が必要であるという洞察 ― を認識できなくなっている」。

【捕捉3】エゴン・ピアソンはイェジー・ネイマンの仮説検定理論の発端は、
分布が正規分布に従っているかどうかのχ二乗適合検定に関するものであった:
「一組のデータに対する適合度検定において、有意な結果が得られなかった場合、データが正規分布に従っていることをどうやって確信したらいいのだろうか?」
この問いが、
「検定で有意でない結果が得られたとき何が言えるのか」「ある仮説が間違いだと言えなかったとき、その仮説が正しいと結論付けることができるのか」
という問いへと一般化され、上述の検出力の理論の構築が始まるのである。

合意モデルでは環境にやさしいまちはつくれない (出典:Shinji 「サイクリングとデモクラシー」 2011.05.18 Wed.)

「持続可能なインフィル開発にとって重要な勝利」(Partnership for Sustainable Communities)

カリフォルニア州バークレー市の住民が、公共輸送機関ルート沿いに計画された98戸の高密度住宅開発の差し止めを訴えてきたが、このほど控訴裁判所は訴えを棄却する判決を下した。同市にはびこるNIMBYism(Not in my backyard,「俺の裏庭ではよしてくれ」主義)を乗り越えて環境にやさしい都市開発を進める、重要な転機になるかも[知れない]と伝えている。

バークレー市は「リベラル」(アメリカでは左寄りを意味する)な都市として知られており、環境問題に対する関心は一般に高い。一方、やはりリベラルな都市の特徴として、過去40年にわたって「合意の理想」(consensus ideal)を体現するプロセスによって、土地利用政策を実施してきたという。

ところがこれら合意づくりの場は、NIMBYismが幅を利かす場として機能してしまい、既成市街地を再開発して住宅を高密度に埋め込む(infill)計画が、周辺住民の反対によって阻まれてきた。公共輸送機関の便利な場所に高密度に開発を集める、環境にやさしい、つまりリベラルな施策が、住民合意を重視するリベラルなプロセスによって阻まれてきたわけである。

同記事は、強力な政治的リーダーシップの必要性を訴えて結んでいる。それはアメリカで今日意図される「リベラル」ではなく、古典的「リベラル」な民主主義の必要性を訴えているとも言える。


*********
以上、Shinji氏のホームページ 「サイクリングとデモクラシー」 , 2011.05.18 Wed., http://cycling.suizenji.boy.jp/?search=%B9%E7%B0%D5&submit=Search より引用。
Shinji氏の他の記事も秀逸ですので、ご覧になるのをお勧めします。

[]内は、筆者による捕捉。

なお、もとの英文記事は
http://www.p4sc.org/articles/all/important-victory-sustainable-infill-development
 

2011年6月30日木曜日

専門家は本当に「第1種誤り」を恐れているか?

枝野官房長官の「ただちに問題があるというわけではない」という答弁の仕方について、ある方と議論した際に、
「弁護士出身なら第1種誤りを恐れるのは正当ではないか」と指摘してみたのですが、自分でも違和感があったのでその後考え直してみました。
その結果、「第1種/第2種誤り」という切り口自体に問題があったことに気付きました。

以下に、少し詳しく述べます。

一般に、
「問題がない」のに「問題がある」と言明するのは第1種誤り、
「問題がある」のに「問題がない」と言明するのは第2種誤りで、
科学者などの専門家は、第2種誤りよりも第1種誤りを犯すことを恐れる、
ということがよく言われます。

ここで気がついたのは、
「問題がない」は「問題がある」の単なる論理上の否定ではないということです。
もし、単なる論理上の否定なら、
「問題がない」を立証するためには「問題がある」を部分的に反証すれば充分で、
「問題がある」ことの立証に比べてずいぶんと楽な作業になります。
ところが、実際には、「問題がない」も「問題がある」と同様に、証拠による裏付けと社会的信用を賭けることが必要な「積極的言明」です。

このように否定言明が肯定言明と同じくらい努力が必要な積極的言明である場合は、否定言明も肯定言明は対等であり、第1種誤りと第2種誤りはどちらも等しく恐れるべきものとなります。
これは弁護士や科学者に限ったことではなく、言明者が誰でであっても言えることです。

ということは、証拠が十分でない場合は、
「問題がある」とも「問題がない」とも言明しないか、あるいは、「「問題がない」とは言えないが「問題がある」とも言えない」という言い方が妥当だ、という結論になります。
枝野官房長官もこの原則に従っています。

しかし、だから枝野長官の言明は妥当だ、ということになってしまうようでは、言明の評価方法としては不充分と言わざるを得ません。

そこで、評価の仕方を変えてみます。
「「問題がある」とも「問題がない」とも言えない」、すなわち「積極的言明ができない」という言明を考えれば、これに対して第1種/第2種誤りを考えることができます。
このとき、
第1種誤りは「積極的言明ができないのに言い切ってしまう」、
第2種誤りは「積極的言明ができるのに言わない」
となります。

このような追加的な精緻化を一段階経ることで、晴れて、
「専門家は第2種誤りよりも第1種誤りを犯すことを恐れて積極的判断を控える傾向がある」
という言うことができ、さらに、
「あまりに第1種誤りを犯すことを恐れて積極的言明を控え過ぎる場合、不作為となっている可能性がある」
とスキーマティックに結論することができるようになります。

これをさらにスキーマティックに言い換えて、
「専門家は、たとえ証拠が少ない場合でも、それまでの誠実かつ注意深い考察に基づいて形成した自分の信念に従って、主体を賭けて積極的言明を行わなければいけない時がある」
ということが結論できます。

いつもこういった細かいことばかり考えていますが、
反応してくださる方がいると、たいへんうれしいです。

(2011年12月14日に大幅修正。)

2011年6月22日水曜日

アトランタ訪問 随感(その2)

前回の記事で、アトランタの寿司屋さんか、ジョージア工科大の話をすると予告しましたが、
その前に、アトランタのインフラ整備がなおざりになっている例として、
ジョージア工科大の近くの道路のひび割れの写真をアップしておきます。


(↑) 陥没しています。また、ひびも入っています。


(↑) 歩道にもひびが...


(↑) 補修の仕方も大雑把ですね。

以上です。

既にお話したように慢性的な財政赤字で、インフラの補修ができないのです。
でも、アトランタをけなしたい訳ではありません。
むしろ、町並みには好印象をもちました。

お寿司屋さんで聞いたアトランタの住習慣の話は、いつのことになるやら。

では、また。

アトランタ訪問 随感(その1)

2011年1月6日~7日、ジョージ工科大の建築学専攻の研究者と当地の省エネ建築と日本のそれとの違いについてて意見交換を行うため、アトランタ入りしました。

夏は高温多湿、冬はそれなりに寒い(0℃かそれ以下まで気温が下がる)ということで、日本の熊谷市とか名古屋市と気候条件が似ています。ということ は、自然条件以外の条件、すなわち文化や社会的条件の違いによる省エネ建築技術の発達の差異が分かりやすいと踏んで、ここを訪問した次第です。

アカデミックな報告は別の機会にするとして、ここでは、アトランタ市内に入ってみて、気がついたことを述べていきます。

空港から出ているMARTA(Metropolitan Atlanata Rapid Transit Authority)(市内鉄道)はすぐれものです。
空港からでジョージア工科大の近くのNorth Avenue駅まで、約30分というはやさで到着します。
運賃は1回の乗車につき2ドルと、タクシーの30ドルと較べるとかなり安いです。
ところが、間違えて高いカードを買ってしまいました。 失敗ました

下図はMARTAの路線図です。


(↑ MARTA Trainの路線図。車内にて。)

MARTA Trainは、バリアフリーです。すべての駅の階段にエスカレータが着いています。
東京なみです。
(ちなみに、ドイツのようなバリアフリーで通っている国のフランクフルトやデュッセルドルフのような大きな駅でも、エスカレーターが完備しているわけではありません。)


(↑ 空港駅のエスカレーター)


(↑ North Avenue駅)

ところが、地表の道路は段差がところどころあって、バリアフリーとはいえません。車椅子など通りにくいでしょう。スーツケースもあちこちでつっかえました。
市の慢性的な財政難のため、道路の舗装を定期的に行うことができないのです。
前の市長(民主党)の代になってようやく、インフラ整備の努力がなされたそうで、下水はかなり整備されたそうです。

次記事は、日本人シェフのいる寿司屋にいったときの話か、ジョージア工科大の話になると思います。

2011年6月20日月曜日

両面コピーはかなり省エネルギー(つづき)

前回投稿した記事では、紙に関する化石資源の費のマクロな数値(日本全体に占める割合)を記していませんでしたので、補足します。

日本における紙の消費量は以外に多く、日本人1人当たり年間0.2トンです。
また、紙1トン(再生紙を含む)の消費に対する化石資源の消費量は炭素換算で約0.3トンです。
したがって、1人当たり年間約0.06トンの化石資源を消費していることになります。

日本の全活動部門(製造部門・輸送部門・民生部門(ビル・住居)・エネルギー転換損失)における
化石資源の消費量は年間1人当たり約2.4トンですから、
紙に起因する化石資源消費は、全体の2.5%を占めていることになります。
これは、十分有意な量であると言えます。

参考文献:小宮山宏『地球持続の技術』(岩波書店、1999年)
(注):
CO2換算だと、化石資源消費量の表示は分子量に比例して約44/12倍になりますが、
もちろん相対比率は変わりません。

両面コピーはかなり省エネルギー

ある会議において、
「紙の消費エネルギーはたいしたことがないので、両面コピー機を採用してもそれほど省エネルギーにはならないのではないか」
といういう意見がありましたが、それに対する反論です。

たとえば、リコーの技術者がコピー用紙のライフサイクル・インベントリーについて論じた次の技術資料(論文)をご覧下さい:
http://www.ricoh.co.jp/ecology/history/presen/pdf/lca.pdf/ 

この資料によると、コピー用紙の製造・運搬・使用・廃棄というライフサイクルで消費されるエネルギーを評価すると、製造時に消費されるエネルギーが、コピー用紙の使用時のエネルギー、つまりコピー機の電力使用量(動作電力+待機電力)よりも、圧倒的に多いです。
コピー用紙1トン当りの電力使用量は
95kWh(≒340[MJ])  (1次エネルギー換算ならだいたい1000[MJ])
であるのに対して、
コピー用紙1トンを製造するのに必要なエネルギーは、上記論文にあるグラフから見積もると、だいたい
30000[MJ]
です。
つまり、約30倍(1.5桁)違います。

従って、両面コピーによってコピー用紙の使用枚数を半分にすることは、コピー機の消費電力を減らす努力よりも、ずっと効果的です。

ただし、使用済みのコピー用紙からトナーを除去して再使用する「剥離除去」が普及すると話は別です。
上述の技術資料によると、剥離除去に要する電力量は、コピー用紙1トンあたり約940kWh で、用紙の製造エネルギーの3分の1くらいですから、剥離除去によるリサイクルを行うほど紙の製造エネルギーは減っていきます。
(ちなみに、通常の古紙再生では、新生紙の製造エネルギーと同程度のエネルギーを必要とします。)

また、コピー用紙の使用に伴うエネルギー消費には、コピー機の消費電力に加えて、消費したトナーの製造またはリサイクルのエネルギーがありますが、それほど多くないようです。
私が使っている Brotherのコピー機の製品情報によると、コピー機のライフサイクルで使われるエネルギーのうち、電力消費の割合が約65%で、トナーに起因するエネルギー消費は多く見積もっても 35%です。

結局、コピー用紙を使うときに消費するエネルギーは、消費電力エネルギーとトナーのリサイクルエネルギーをあわせても、用紙を製造するときのエネルギーよりもはるかに少ないわけです。


以上の比較に加えて、コピー機の原材料の鉄やプラスチック、ガラスなどの製造エネルギーとの比較も、しておいた方がよいでしょう。
コピー機1台の製造に使われる鉄・プラスチック・ガラスの製造時エネルギーと、同じくコピー機1台が消費する紙の製造時エネルギーとは、だいたい同じくらいのエネルギーになります。
ただし、1台のコピー機がそのライフサイクルでA4用紙48000枚を使うと仮定しました。その場合、使用する紙の重さは合計で、約0.2トンになります。

2011年5月1日日曜日

「朝まで生テレビ」4月29日(金) (後半の論点)

4月29日(金)の「朝まで生テレビ」の後半から、重要な論点をいくつかメモしておく。
(敬称略、発言時刻の順不同)。

・現在提示されている賠償プランは、東電の独占を固定してしまい、エネルギー構造を変えない点で問題だ。(飯田哲也、番組の最後の方で)。

・復興会議は、実のあることを決めることができないように構成されている。(すべての出席者異論なし)。意図的にそう構成された(異論なし)。マスコミ関係の委員は宣伝担当だろう(特に増税問題の宣伝)(長谷川幸洋)。

・増税の話が復興会議が議論されるのは不適切。予算委員会や税調と他のところで議論すべき(大塚耕平(民主))。

・復興会議は増税を言いたいがために財務官僚が設置を画策した可能性が高い(高橋洋一、他複数が同意の発言)。

・国債発行について。建設国債なら今すぐ発行可能、償還60年(高橋氏)。海外から見れば建設国債は赤字国債と区別がつかず財政規律破りと見なされるから、やはり用途を復興に限った国債にすべき(平野達男(民主))。無期限国債の発行を検討べき(大塚耕平(民主)、高橋氏)。

・震災復興(原発賠償を含む)のための必要総額は、おそらく、30兆円を越す。(大塚氏)。当面の国債発行は、毎年5兆円くらいを4~5年(齋藤氏、大塚氏)。

・三陸は漁場さえ無事ならば、復興できる。原発事故終息が最大かつ緊急の課題。漁場が汚染されたら、三陸の復興はない(小野寺五典(自民・宮城県))。

・東北地方選出議員は、現地常駐&連携 &共同で政府と交渉。(田原氏提案、小野寺(自民・宮城県)、平野(民主・岩手)、他複数が頷く。)

・東北地方で国会を開催。(齋藤健氏(自民)提案、大塚氏他も頷く。)

・東電処理、結局は、税金か電量k料金となって国民負担となる。まずは資産をすべて吐き出させる。(齋藤氏)。

・送電網を開放すれば、電気料金は安くなる可能性がある(荻原博子)(齋藤氏頷く)。(筆者注:自然エネルギーなど他の電力供給業者のコストが下がるということか?)

・東電の存続を前提にしない。発電と送電を分離、電力自由化(長谷川幸洋)。

・広島長崎で被爆したあるいはその関係者で、戦後原子力の分野に来た(第一世代の)研究者や技術者の中には、「原発でかたきをとる」という考えの人たちがいた(石川迪夫)(筆者注:全体の議論には関係がないが、逸話としては歴史学の対象となるかも。石川氏の他の発言をみると、この逸話の信憑性は要検証。)

・岩手県・宮城県・福島県の3知事が広域連合を宣言し、中央政府は権限をそこに委譲する(現行法で可能)。。中央の官僚や政治家は(地元選出議員を除いて)現地のことはよく知らないので、出すお金の総額だけ決めて、口出ししない(高橋氏、大塚氏、他複数首肯)。

2011年4月15日金曜日

太陽電池の効果のシミュレーション

ある事業所の建物に太陽電池を載せた場合の効果をシミュレーションしてみた。
ある年の7月の電力ピークの前後。ピークが緩和されている。しかし、同じシミュレーションによって、かなり暗い曇天だったら効果が少ないことも分かっている。(NT)

屋上緑化 vs. 他の省エネ方策

下記節電レシピに、注として費用対効果が少ないとのコメントがある。

節電パッド (e-saving recipes): 今すぐ屋上の緑化、断熱対策を始めよう。

これに関連して、

屋上緑化と他の省エネ方策の効果の比較を、
田中俊六氏が解説している:
http://www.nikko-pb.co.jp/photos/logmok/k_0311.pdf

しかし、私としては、緑化そのものの意義も、別次元で評価したい。(NT)